「デザインも助産師もツール」2つのキャリアをつなぐ個人事業
黒宮さんの現在の肩書きは、フリーランスのグラフィック/Webデザイナー兼ディレクターだ。ただ、その経歴の大半を占めるのは、病院で過ごした助産師としての約10年である。
助産師からデザイナーへ。まったく異なる仕事に転じたように見えるが、本人のなかでは二つの仕事は切り離されていない。
「デザインも助産師の仕事も、目的ではなくツール」
現在はデザインの仕事を続けながら、その先に助産師としての経験も生かし、女性の健康や子育てに関わる分野への挑戦を見据えている。
独学でデザインを学び、副業から独立へ。一度は会社員も経験し、再び個人で働く道を選んだ。二つのキャリアはどうつながったのか。仕事との向き合い方や事業のつくり方とともに、その歩みを聞いた。
紹介と継続を中心に、一つずつ仕事を受ける
現在の仕事は、グラフィックとWeb制作のデザイン、ディレクションが中心だ。受注は、過去に仕事をした相手からの紹介と継続案件が多く、今年は「お声がけいただいた仕事を一つずつ受けている」状態だという。
現在は個人事業として仕事を続けており、法人化については「今のところ、まだ考えていません」と話す。
事業そのものを大きくすることよりも、黒宮さんがこの先に見据えているのは、デザインを生かして女性の健康や子育てに関わることだ。その方向性は、約10年にわたる助産師としてのキャリアともつながっている。
「責任を持てる仕事を」助産師からデザインへ
独立の起点は、デザインを始めるより前、助産師として働いていた時期にさかのぼる。病院で10年ほど勤めたのち退職し、助産院の手伝いや地域の施設で働きながら、産後ケアに個人でも携わろうと開業届を出した。屋号はつけず、名前だけの登録だった。
デザインの仕事を副業として受け始めたのはその後で、数年かけて少しずつ実績を積み、2023年、引っ越しを機に業種をデザインへと変更した。
このとき黒宮さんは、デザイン事業を追加するのではなく、開業届の内容をすべて書き換えた。「開業届には複数の事業を書けると思うのですが、私はきちんと整理して登録しておきたかった。デザインに集中して、自分の取り組む仕事に責任を持つために、全部書き換えました」。
助産師の仕事をいったん離れた理由にも、同じ「責任」という言葉が出てくる。地域による違いが大きい仕事だからこそ、その土地の状況をつかめていない状態で働くことに責任を持てないと考えたという。
「自分の100%は、クライアントの100%ではない」
デザインは完全な独学から始めた。母が助産院を経営し、姉がSE・Webディレクターという環境で育った黒宮さんは「母と同じことをするのは難しい」と感じ、自分にできる方法を模索していた。
当時感じていたのが、情報発信の必要性だった。「これからはネット社会になり、若い方への情報発信や、性感染症などの課題も、対面で地道に伝えるだけでなく、別の発信方法が必要になる」。そこでWeb業界にいる姉に相談すると、「勉強してみたら」「いつか家族で一緒に仕事ができたらいいね」と帰ってきた。
「姉はそれほど深く考えていなかったと思うのですが、私は『そうか』と思い、よく分からないまま勉強を始めました」。
独学はすぐに壁に突き当たった。「本当にゼロからのスタートで、右も左も分からず、本を読むだけでは足りませんでした」。その後、デザインを教えてくれる師に出会い、学びを続けた。

さらに大きな壁になったのは、実際に仕事を受け始めてからだった。独立した頃にはデザインを学び始めて数年が経っていたが、それでも思うようにいかない時期が続いた。
「自分にとっての100%が、クライアントにとっての100%ではない、ということをまだ理解できていなかった。どうサービスを提供するのが正解なのか、何がベストなのか、とても悩みました」。
転機になったのは、デザインを仕事のなかだけで考えるのをやめたことだった。「仕事としてだけでなく、人生や生活のなかでデザインをしよう」と考え、身近な人のために作り始めた。
車好きの夫にはステッカーを作り、子どもが何かを頑張りたいと言えば表や冊子を用意する。そんな日々を半年以上続けるなかで気づいたのが、「会話のなかにアイデアがある」ということだった。
相手の言葉を聞きながら、「こうしたら解決できるかもしれない」「こうしたら喜ぶかもしれない」と考える。デザインそのものではなく、目の前の人の困りごとに意識を向けるようになった。

「仕事が嫌だ、どうしたらいいのかと考えるより、生活のなかで人と関わりながら困りごとを解決することに集中すればいい」そう考えられるようになってから、スランプは少しずつ晴れていった。
会社員1年で見えた「自分が力を生かせる場所」
独立後、黒宮さんは約1年間、会社員として働いた。一般企業で従業員として働いた経験がほとんどなく、「自分にはできないのではないか」という思い込みがあったことに加え、師に支えられる環境に「ぬるま湯につかっているのではないか」と感じていたことが、入社を決めた理由だった。本人にとっては「修業」の意味合いもあったという。
入社したコンサルティング会社では、デザイン制作だけでなく、マネジメントや採用、BtoBマーケティングなど幅広い業務を担当した。家庭との両立を考えて役職に就くことは断ったものの、制作の多くを一人で担い、若手の教育にも携わった。
「コンサルも制作も、それぞれ100%の状態でやっているような感覚で、ミーティングとミーティングの合間に5分しかないこともありました」
その後、体調を崩して退職。師からは「君の能力が足りなかった」と言われたという。黒宮さんは、その言葉をデザインの技術だけの話とは捉えていない。
「新しい知識を増やすことはできても、自分が持っているものと掛け合わせて広げることができなかった。そこに限界を感じました」
経営会議に参加しながら、「なぜ自分がここにいるのだろう」と感じることもあった。経験を重ねるなかで、自分が得意とする仕事や、人との関わり方も見えてきた。
「人を評価することが、私には合っていなかった。並んで一緒に教えるのは好きですが、なるべく対等な立場で関わりたい」
会議で上の立場から考えるよりも、クライアントと直接話し、手を動かして制作するほうが自分には合っている。会社員として過ごした1年は、そうした自身の志向を知る期間にもなった。
退職後は心身の回復にも時間を要した。それでも黒宮さんは、「自分に何が足りなかったかを知ることができた。そのときにつながった縁から、今も仕事をいただいています」と振り返る。
もう一度、会社員としてデザインの仕事をしたいか。そう尋ねると、答えは明快だった。
「思わないですね」
「表面だけを見ない」人との関わり方
クライアントワークで黒宮さんが意識しているのは、「表面だけを見ないこと」だ。ヒアリングで語られた言葉が、その人の思いをすべて表しているとは限らないと考えている。
「言葉を選ぶのはとても難しい。私自身、自分の発した言葉が合っているか常に自問自答していて、毎回一人で反省会をしているような感じです」
だからこそ、相手が発した言葉だけで判断せず、その奥にある思いを考え、必要に応じて確認を重ねる。
人に仕事を依頼するときにも、相手を見る姿勢は変わらない。
「その方が仕事をしやすい状態をつくることを意識しています」
相手がどのような人なのかを知り、取り組みやすい形で仕事を渡す。それが、その人に「能力を最も発揮してもらえる方法」だと考えている。人選の段階でも、「その方が本当にやりたい仕事か、やりやすいと感じられるか」を見るという。
一方、組織との関わり方については、自身を「会社という組織に疑問を持ちやすいタイプ」と表現する。役割や枠があることで責任を分担できるという組織の利点は理解しながらも、「どうしても、その枠を越えた部分まで考えてしまう」。
前職でも、「会社としてはここまでしかできないのか」「ここから先には関わってはいけないのか」と考えることがあった。社員を教育する際にも、仕事上の一部分だけでなく、その人の背景や別の課題まで気づいてしまう。
決められた範囲だけを見るのではなく、目の前の相手にもう一歩深く関わろうとする。その姿勢は、現在のクライアントワークや、人と一緒に仕事をするときにも続いている。
「デザインも助産師の仕事も、目的ではなくツール」

この先について黒宮さんが語るのは、具体的な事業計画というより、これから向かいたい方向だ。
現在もデザインを学び続け、かつて自身が受講したデザインスクールの運営にも携わっている。その一方で、長く目標に掲げているのが、助産師としての経験とデザインの両方を生かし、女性の健康や子育てに関わることだ。
「デザイン事業そのものを大きくするより、デザインを使って、女性の健康や子育てに関わりたい」
黒宮さんは、「デザインも助産師の仕事も、目的ではなくツール」だと話す。
その考え方は、約10年勤めた病院を離れた理由にも表れている。
「大学病院は本当に最終手段のような場所だと感じていました。病院に来るまでの期間や、退院したあとの人生のほうが長い。もっと前の段階でできることがあるのではないかと思い、退職しました」
助産師からデザイナーへ、仕事そのものは大きく変わった。それでも、困りごとが大きくなる前にできることを考え、人の生活により近いところで関わりたいという思いは、二つの仕事につながっている。
「まずは受けます」―変化できなければ、そこまで
これから独立を目指す人へ、と水を向けると、黒宮さんは「かなり潔く独立したと思う」と振り返った。
十分な準備を整えてからではなく、「やる」と決めて開業届を出した。大きな資金を必要としない事業だからできた面もあるという。一方で、独立を決めてからは「1年後にはここまで、3年後にはここまで」と目標を定め、その都度振り返りながら足りないものを身につけてきた。
「自分自身を常に磨き続けることが、独立するうえでは大切だと思います」
一人で仕事をする以上、抱えられる量には限りがある。会社員時代には制作とコンサルティングを「それぞれ100%」で担うような働き方を続け、体調を崩した経験もした。
では、これまで経験したことのない規模の仕事を依頼されたら、どうするのか。
「受けます」
答えは即座に返ってきた。
規模が大きくなれば、人に仕事を任せる必要が出てくるかもしれない。場合によっては、自身が制作の現場から離れることも考えられる。それでも受けたいという。
「私という人を頼って来てくださるなら、できる限り受けたい。そこで自分が変化できなければ、それまでだと思っています」
黒宮さんにとって、仕事は「人の役に立つため」にするものだ。デザインも助産師も、そのためのツールだという。
助産師として病院を離れたときには、「もっと前の段階でできることがあるのではないか」と考えた。デザイナーとなった現在も、相手の言葉の奥を考え、困りごとに目を向ける。そしてこの先には、二つの経験を生かして女性の健康や子育てに関わる道を見据えている。
職種は変わっても、人にどう関わり、何ができるかを考える姿勢は変わっていない。
そのために自分自身が変わる必要があるなら、変わる。
「そこで自分が変化できなければ、それまで」
その言葉に、黒宮さんのこれまでと、これからの仕事への向き合い方が表れている。
黒宮奈津子さん|グラフィック/Webデザイナー・ディレクター
助産師として約10年勤務したのち、デザインを学び独立。グラフィック・Web制作、ディレクションなどを手がける。黒宮さんのPortfolio
